こんにちは、ふっちんです😊
「私らしい働き方を探して」、第4話です。
前回は、辛かった納期確認の仕事が好きになるまでのお話でした。

今回は、私の人生でいちばん大きな出来事と、そのとき「仕事」に助けられたお話です。
少し重い出来事も出てきますが、暗い話にはしないつもりです。よかったらお付き合いください🍀
2020年、わが家の暮らしが変わりました
その頃、海外留学していた次女が、新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、意を決して帰国しました。
義母、夫、次女、私の4人暮らしになりました。
翌年には、夫が定年退職。
再就職はせず、家族の送り迎えや、義母の買い物・通院に付き添ってくれるようになりました。
以前は私が夫を駅まで送っていたのに、今度は夫が、私や娘を送り迎えしてくれる。
そんな穏やかな毎日が、続いていました。
そして、ある日突然——
夫には、以前から持病がありました。
家族みんなで何度も受診を勧めていましたが、もともと病院嫌いだった夫は、なかなか行こうとしません。
在宅で診てもらえる病院も探しましたが、当時は「初診は来院が必要です」と言われ、受診につなげることができませんでした。
そんな、ある春の日。
夫がしんどくて動けなくなっているのを見て、私は救急車を呼びました。
そこで初めて、夫の状態が思っていた以上に重いことを知りました。
治療を受けて一度は退院し、しばらくは通院しながら自宅で過ごしていました。
ところが数か月後、再び夫の様子がおかしくなり、もう一度救急車を呼びました。
そこから、約1か月半。
夫は、入院先の病院で亡くなりました。
詳しい病気の経過については、ここでは書かないことにします。
この連載で残しておきたいのは、そのときの「仕事」のことだからです。
初めて、会社の制度に本当に助けられました
夫が救急搬送された日、私は会社へ連絡しました。
すると、職場のみんなから、温かいメッセージが届きました。
入院してからは、医師から突然電話が入ることもあれば、看護師さんから「これを持ってきてください」と連絡をいただくこともありました。
そんなとき私を助けてくれたのが、有給休暇や半休、フレックスタイム、そして介護のための休暇でした。
総務部にも相談して、義母と夫、それぞれについて介護休暇を取得することができました。
必要な時に仕事を抜けて、病院へ行く。
病院から連絡があれば、対応する。
そして私がいない間は、職場の仲間が仕事をフォローしてくれる。
会社から病院までバス一本で行けたことも、偶然とはいえ、本当にありがたいことでした。
第2話で、子どもの家庭訪問のために早く帰ることさえ言い出しにくく、有給休暇を毎年捨てていた頃のことを書きました。
それから長い年月が経って——
人生で本当に困ったとき、今度は会社の制度と、一緒に働く仲間に助けてもらいました。
「この会社にいて、本当によかった」
あの時ほど、そう思ったことはありません。
制度は、会社の規定に書いてあるだけでは意味がありません。
必要な人が、必要な時に、当たり前に使えること。
それがどれほどありがたいことなのかを、このとき初めて実感しました。
夫を見送って、「これから」と向き合う
葬儀を終え、お休みをいただいたあと、職場に復帰しました。みんな、温かく迎えてくれました。
そのあとも、役所での手続きや名義変更などで度々お休みが必要になりましたが、ここでも会社の制度に助けられました。
義母は、夫の入院の少し前から足腰が弱ってきていたこともあり、義妹が引き取って世話をしてくれることになりました。
こうして、次女と、愛犬ひなのと、私の3人の暮らしが始まりました。
暮らしを支えるのは、遺族年金と、私のパート代と、娘が入れてくれる生活費。
「無駄遣いはできない。でも、ちゃんと生きていかないと」
私はこのとき初めて、自分の人生のお金と、正面から向き合うことになりました。
まず、家計を整えることから
実は夫が2度目の入院をする少し前、私はリベシティというお金のオンラインコミュニティに入会していました。
ただ、入会してすぐは、それどころではなく——しばらくは放置したままでした。
少し落ち着いてから、改めて家計管理に本気で取り組みました。
家計簿をつける。予算を立てて買い物する。使っていないサブスクを解約する。固定費を見直す。
自動車保険は、名義変更のタイミングでネット型に切り替え。インターネット回線も見直しました。
一つひとつは小さくても、合わせると、かなりの節約になりました。
でも——出ていくお金を整えただけでは、老後への不安は消えませんでした。
「これからは、収入を増やすことも考えないと」
この頃から、転職も将来の選択肢のひとつとして、ぼんやり頭に浮かぶようになりました。
そして、お金の勉強を続けて、FP3級を取得。簿記3級にも挑戦して、2回目で合格しました。
「自分で決める」を、始めました
今までの私は、夫や家族の意見に合わせて生活することが多かったように思います。
でもこれからは、もっと学んで、自分で考えて行動したい。
リベシティのオフィスへ行ったり、オフ会に参加したり。
年代も働き方も違う人たちと話して、本業のほかに副業を頑張っている人や、夢に向かって動いている人たちから、たくさん刺激を受けました。
幕張メッセで開かれた、お金の勉強フェスにも一人で参加しました。
家の中で「いつか働きたい」と思っていた30代の私が聞いたら、びっくりすると思います(笑)
人の話も聞く。相談もする。でも——
最後は、自分で考えて、自分で決める。
少しずつ、人生のハンドルを自分で握るようになっていきました。
家族を支える番、ふたたび
その後、次女が結婚して家を出て、ひなのとの二人暮らしになりました。
そんな中、家庭の事情で、1か月ほどお休みをいただく決断をしました。
このときも会社の制度と、仲間のフォローに助けられました。
その後、家族のことが落ち着いて、私はまた職場に復帰しました。
何度も仕事を離れながら、それでも戻る場所を用意してくれた会社。
このときの私は、改めて、ありがたい職場だと思っていました。
戻った職場は、少しずつ変わっていました
ところが、復帰してみると、以前とは少し職場の空気が変わっていました。
チームの編成が変わり、これまで別のフロアにいた人たちと一緒に仕事をすることになったり、担当する取引先が増えたり。
ちょうどその頃、給与の体系が変わることも発表されました。
時給は上がるものの、これまであった賞与がなくなる。人によっては収入が減る可能性もあるということで、職場には、なんとなく重たい空気が漂っていました。
私自身も、少し居心地の悪さを感じるようになりました。
隣の席になった人に話しかけても、返事がないことがあったり。
お昼になると、同じチームの人たちが、私以外でランチに行っていたり。
「あれ? 私、なんかしたかな?」
長く仕事を休んだから、みんなに負担をかけてしまったのかな。それとも、私が気づいていない何かがあったのかな。
本当の理由は、今でも分かりません。
社員さんや上司は、それまでと変わらず温かく接してくれていました。
だからこそ余計に、「気にしすぎかな」と思ったり、「でも、なんか居づらいな」と思ったり。
以前のように、仕事へ行くのが楽しいと思えなくなっていました。
チームを変えてもらう方法も、あったのかもしれません。
でも、異動を希望した別の同僚がかなわなかったと聞いて——
「それなら、違う会社を見てみるのもありなんかな?」
それまでぼんやりと頭の片隅にあった「転職」が、初めて現実的な選択肢になった瞬間でした。
初めて、自分で選んだ転職
転職サイトやエージェントに登録して、求人を見る日々が始まりました。
そして、求人サイトで見つけたのが、病院の総務事務のお仕事でした。
総務事務は、未経験です。
でも——
「今までだって、新しい仕事を覚えてきた。やってやれないことはない」
そう思って、応募しました。
そして——採用。
20年以上勤めた会社を離れて、私は病院の総務事務として、新しい一歩を踏み出すことになりました。
このときの私は、「新しい仕事、頑張ろう」と、前向きな気持ちでいっぱいでした。
まさかその転職先で、もう一度「私にとって働くって何だろう」と考えることになるとは、まだ知りませんでした。
おわりに
夫を亡くした話を書くと、「大変でしたね」と思われるかもしれません。
たしかに、年老いたご夫婦が仲良くお散歩している姿を見ると、今でも胸がチクッとすることはあります。
でも、いつかは誰もが、一人になります。
21歳で結婚した私は、今までしたことのなかった経験を、いま一つずつしています。
自分で学んで、自分で決めて、自分の足で出かけていく。
それに、うちでは愛犬ひなのが待っています🐶
「自分で決める人生」は、まだ始まったばかりです🌱
次回は、新しい職場でのお話です。
お楽しみに🍀
🌿 あわせて読みたい
この連載の第1話・第2話はこちらです😊




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